地方創生コラム 第6回
「公害を生む人類の誤作動を正す」
1956年経済白書で「もはや『戦後』ではない」と書かれ、原子力委員会が生まれ、水俣病が水銀由来と正式発見された年に、私は生まれました。原子爆弾が2発日本に落とされた戦争から10年余りが経っていました。
このような悲惨な戦争が終わり、平和な時代として軍事技術の民生転用で 猛烈な工業社会が、近代の光と陰を作っていきました。しかし、経済活動が 猛スピードで回復したと同時に行き過ぎた工業化は、公害を起こし、人々を、 故郷を、地球を、そして人間性を蝕んで行きました。
水俣病で亡くなった親の仇と身を賭して闘った水俣病認定申請患者協議会 会長の経歴を持つ緒方正人さんは、水俣病闘争に半生をかけて戦った結果、「チッソは私であった」という意識に至ったそうです。
この社会を動かしている主体が、いつの間にか複雑で極大化した【システム】という無機質な仕組みになっている。緒方さんは、自分自身もこのシステムに依存した一員であるので、補償金を断りました。
突き詰めれば、日本国首相も、チッソの社長も、この【システム】の下僕 なのでしょう。
そんな時代に学生として成長していく中で、強い者が弱い者をコントロールすることが発展であるなら、そんな発展には寄与したくないと思うようになりました。そして、私が見つけたのは、生物の中で一番弱い動物が人類である、という結論でした。弱いから生存確率を上げるため社会的進化を遂げました。
産業革命以降の近代社会は、人類の恒久の安心として、飢餓の恐怖からの 解放として、地下資源を大量に掘り出しました。大量消費の最大幸福という 動機で自然と人類の関係だけでなく、人間関係も劣化させて、豊かな社会関係性を壊し、精神的な飢餓である孤独を増幅させてしまいました。
私がこの人類の誤作動を生むシステムを正作動にするシステムを作る人生を選んだきっかけは、このような「水俣病」の真実を知ったからでした。
(アミタホールディングス株式会社 代表取締役会長兼社長 熊野英介)